芸能事務所 - Wikipedia

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芸能事務所(げいのうじむしょ)は、芸能人が芸能活動を円滑に進めるための支援を受け持つ企業のこと。音楽プロダクション、芸能プロダクション、俗にタレント事務所ともいう。レコード会社として、演歌を中心に専属の歌手や作曲家を擁しているところもある。エージェンシー。


役割 [編集]タレントや歌手とプロデュース契約、マネジメント契約を結ぶことにより、プロフィールやカタログの作成、育成指導、スケジュール管理、営業活動、ギャラの交渉・請求、トラブル処理といった業務を行う。

日本においては、法律的には芸能人に特化した有料職業紹介事業所というもので、労働局の許認可事業に該当するが実際のところ認可を得ていない者が圧倒的に多く、優良な事務所よりも悪徳(悪質、インチキ)な事務所が多い事も現実である。

悪質な業者が多い理由の一つには、クライアント側からの賃金精算に問題点がある。 ギャランティーを支払われなかったりする現実が横行しており、出版業界や映画業界・音楽業界・放送業界など悪しき慣例的な被害も受けている。

それ以外にもプロデュースの一環と称しモデル料の貰えない仕事が異常に多いのも、職業紹介事業側の正しく運営し辛い一面でもある。


タレントとの契約
事務所やタレントの格などにもよるが、タレントや歌手が事務所とマネジメント契約を締結するにあたって、そこで交わされる内容は非常に多岐に渡る。

プロフィールの作成
スケジュール管理(仕事の量・内容)
レコード会社や放送局などメディアへの各種営業活動
ギャランティーの交渉・請求・管理
報酬形態(歩合率など)
マネージャーや付き人の人数
各種マスコミ対応
業務中の食事
業務で地方に宿泊する際の、ホテルや宿泊施設のグレード
移動の際の方法、公共交通機関を利用する場合の座席のグレード(グリーン車ビジネスクラスなど)
トラブル発生時の対応・処理・警備対応
肖像権の管理(テレビ番組の映像や関連グッズなど)
各種サイドビジネスにまつわるタレントの名義・写真の管理(タレントが自身で展開するものも含む)
契約の内容は、基本的にこの様なタレントとしての「業務」に関する事項が中心となるが、他にもタレントとしての全般を管理する様々な項目が存在している。また、若手や子役に対してはタレント・俳優としての育成に関する事柄も契約に含まれる。

大衆の耳目を集める芸能タレントには、タレントとしての華やかさと並行してイメージのクリーンさが重要な要素として常に求められる。また、世間に広い知名度を持つ人物はマスコミからみなし公人として扱われ、プライベートでの行動やプライバシーについて様々な詮索を受けやすい一面があり、プライバシー・個人情報の保護やセキュリティの確保も極めて重要となる。これらのことから、上述の様な芸能タレントとしての業務・ビジネスに関する各種内容以外でも、

髪形・髪色
服飾品(身に着ける服装や装飾品のブランド・グレードなど)
健康管理・美容の方法・回数
病気・怪我の際に受診する医療機関(不特定多数の一般外来客と顔を合わせずに診療・投薬など一切を済ませられる病院や、医師の往診を事務所側が手配する、など)
美容・理美容に利用する店舗(医療機関同様、不特定多数の一般客と顔を合わせずに利用できる店舗を事務所側が手配する、など)
体重
日常の言動(タレントの性格などによっては、特に使ってはならない言葉を具体的に指定される事もある)
留守中の自宅の管理・セキュリティ
プライベートで外出する際の服装
プライベートでの自動車・オートバイなどの運転の可否
託児所・ベビーシッターの確保(幼い子供のいる女性タレントなど)
交友関係(暴力団・暴走族などの「反社会的勢力」の構成員・関係者と見なされる人物と係わり合いを持ってはならない、など)
本人・家族にまつわるプライバシーの保護(プライベート時のタレント自身の他、配偶者・子供の顔や姿を、マスコミがメディアに出さないように対処するなど)
この様なプライベートや私生活の全般にも関わること細かな事柄についてまで、詳細に指定や約束事・制限事項を契約書面で交わしている事も見られる。


日本における成立と流れ
音楽業界と映像演劇業界ではその成立の流れが異なるが、前者でいえば太平洋戦争後の在日アメリカ軍の存在が、後者は新派や興行会社ではなくテレビ業界草創期の劣悪環境で働かされた、当時はアテ師と呼ばれた声優の存在がその誕生に大きな役割を果たしたとされる。アメリカ軍は軍隊であると同時にアメリカ文化発信の先遣隊としての役割も果たしており、その影響下に日本やドイツなど敗戦国の芸能文化は侵略されることになる。

日本の芸能は神事と結びついたのが始まりである。この内、権力側の庇護を受けて興行権を確立したのが文楽であり、歌舞伎であり、能である。近代になって興行権を確立できなかった地下(じげ)のもので小資本の劇場主が演目を専門化したのが、関西の吉本興業のような存在である。ちなみに劇場に出られない役者や歌手は地方での公演で興行主やヤクザの世話になったとされる。

日本にはあらゆる業種や階層に縄張りがあり関西地方の群小の興行主へ既得権を手放す代わりに利益を生むように説得していった一人に山口組の田岡一雄がいるとされる。田岡は差別に対しての反骨心からゲテモノと呼ばれていた美空ひばりへ肩入れしていくことになる。また母親と衝突するまで美空を可愛がった反骨人の竹中労は差別されていたはずの芸能事務所がやがて特権階級化することにも牙をむく。

アメリカ軍に話を戻すと、基地へ慰問する楽団や歌手に対して、軍は実力に従い評価を出してギャラや待遇に格差をつけた。機会は公平に与え、実力によりチャンスをものにする姿勢は門閥主義の日本の伝統には無かったものである。草創期の芸能事務所の社長の多くはジャズバンド出身者であり、このアメリカ流の実力主義に感化された野心家たちでもあった。最盛期には一説に8,000人もいたバンドでも実力派の引き抜き合戦が行われたとされるが、彼らは互いに協定を結びつけていく。これが出発点である。

東京の良家の子弟がジャズメンに多かったことが、また信用を得てコネを作るのに役立っていく。アメリカ軍の占領期間が終わった後も彼らの活動はジャズ喫茶や、大劇場の日劇においてロカビリーやグループサウンズに結実していく。運動の指導者たちは音楽畑の人の比率が高かった上に、徒弟制度的な「師が弟子を育てて一本立ちさせる」に似た、厳しいが家族的な形態が主流であった。

映像演劇業界は前述の通りテレビ局の劣悪な環境で働かされたアテ師たち(基本的には俳優)が、待遇改善を求める中で風雲児の清水昭に説得されて人望のあった久松保夫が中心となり太平洋テレビ芸能部が設立された。これが「PTC事件」の始まりである。事件の詳細については、仲間内での結束から証言が少ないため不明な点も多い事件だが結果として、テレビ局の俳優に対する絶対的な優位が確立した。後に至るも久保は金銭的に報われない芸能人の生活向上のための活動に汗を流すことになる。

芸能人の全体数が増加して行く中で、徐々にテレビ局や各種メディア業との連携、あるいは独自での企画・運営によるイベント主催、新人発掘、劇団経営など様々な関連事業が追加され、さらにバブル期には異業種への展開など多角経営化が進んでゆく。

1950年代、ジャズミュージシャンだった渡辺晋が芸能産業の近代化と、虚業・河原乞食などと揶揄されていた芸能人の待遇改善と地位向上を目的として、夫人の美佐、松下治夫とともに渡辺プロダクションを創設し、これが現代型の芸能事務所の起源であるとされる。

多方面からの人材流入を受けた近年は、いわゆる文化人やアスリートのメディア出演や公演活動時のマネジメントといった業務、他にはアナウンサーやリポーター、司会専門を育てるというように多様化・マルチ化が進む。ただし、この業界は事務所の規模も大小様々である上、独立・移籍など人々の流動が激しい事から、詳細な実態は把みづらい面もある。


関連項目 [編集]モデルエージェンシー
劇団
日本音楽事業者協会
音楽制作者連盟
日本芸能マネージメント事業者協会
マスメディアと芸能